『うれしいひなまつり』は、作詞:サトウハチロー、作曲:河村光陽により1936年に発表された日本の童謡です。

あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひなまつり

お内裏様(だいりさま)と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉様に
よく似た官女の 白い顔

金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣

着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひなまつり

3月3日上巳(じょうし)

ひな祭りとは、女の子のすこやかな成長と健康を願う、3月3日の「桃の節句」の行事です。

ひな祭りの由来は中国から伝わった「五節句」という行事のひとつ「上巳」です。季節の節目を意味する「節」のころは、昔から邪気が入りやすいとされていました。そもそも古代中国の陰陽道では、1・3・5・7・9の奇数が重なる日に、お供えやお祓いをする風習があったのです。古代中国から遣唐使によって穢れを移し厄災をほかに身代わりなってもらうための儀式として、日本へ上巳節が伝えられると、宮中の行事として取り入れられました。もともと中国では川で身を清める習慣がありましたが、日本では「上巳の祓い」として禊の神事と結びつき、紙や草で作った人形(ひとがた)で自分の体をなでて穢れを移し、川や海へ流したりするようになりました。これは今でも一部の地域で「流し雛」として残っています。

ひな祭り

菌だめ君のひな祭り 2
平安時代、宮中や貴族の子女の間で行われた紙の人形で遊ぶままごとを「ひいな遊び」「ひな遊び」と呼び、これが上巳節と結びつき、男女一対の「ひな人形」に子どもの幸せを託し、ひな人形に厄を引き受けてもらい、健やかな成長を願うようになりました。その後、武家社会にこの行事が広がると5月5日の男の子の節句に対して、3月3日は女の子の節句になり、この頃に花を咲かせ、邪気を払う木と考えられていた桃の木にちなんで「桃の節句」として定着しました。

春を寿ぎ、無病息災を願う厄祓い行事でした。

雛人形は、立春(2月4日頃)から2月中旬にかけて飾り、ひな祭りが終わったらできるだけ早くしまうのが良いとされています。3月3日を過ぎてもおひな様を飾っていると、娘が縁遠くなるという言い伝えがあります。これも「厄を移した人形を早く遠ざけたほうがよい」「早く片付ける=早く嫁に行く」「片付け上手な女性に躾ける」などの言い伝えがあります。

関東などでは一般的に、お内裏様(お殿様)を向かって左、お雛様を向かって右に飾ります。
古式を好む京都などでは反対に飾るところが多いそうです。

日本では平安時代に年中行事になり、江戸時代には少し変化して「五節句」という幕府公式の祝祭日になりました。
大事な祭日で、賑やかなお祭りの雰囲気だったそうです。

節句にはもともと男女の区別はなく、菖蒲を「尚武」にかける端午の節句に対し、上巳の節句は優雅な女の子のお祭りとして楽しまれるようになりました。
医学が発達していなかった時代には、子どもに健康で成人してもらいたいということが親の切実な願いでした。季節の変わり目で、体調を崩しやすい時期に成長期の子供が病気や災害から逃れるために厄払いの行事が多くありました。いつの時代でも大切な子供に対する親の気持ちは一緒だなと感じます。

旧暦の3月3日といえば、現在の3月上旬から4月中旬。


ちょうど桃の花が咲く春らんまんの季節なので、上巳の節句は「桃の節句」とも呼ばれています。

桃の木は、中国では病魔や厄災をよせつけない不老長寿の仙木とされ、節分にも桃の木の弓で鬼を追い払う儀式があったほど。桃はとても縁起のいい植物なのです。桃の次は桜です。
調布飛行場の桜